競馬太郎
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文久元年(1861)、横浜の居留地で行なわれた競馬がわが国の近代競馬の幕開けとされている。日本最初の競馬倶楽部も文久2年に横浜にできた。明治38年に馬券の発売が黙許されて以降、各地に競馬倶楽部が乱立したが、大正13年、競馬法が適用されると同時に、札幌、函館、福島、新潟、松戸、東京、横浜、京都、阪神、小倉、宮崎の以上11の倶楽部に統合された。
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パドックでもまれに見受けられる異常歩様で、鶏の歩く様に似ているところからこの名がある。後肢が地面を離れる時に急激に肢を上げる歩様が特徴的である。通常、常歩〔じょうほ〕(歩いている状態)でのみ現われる。駈歩〔きゅうほ〕(キャンター)、襲歩〔しゅうほ〕(ギャロップ)では消失するので、レースに対する支障はない。
サラブレッド、アラブ、アングロアラブなど軽快で競走または乗用に適するもの。昭和49年6月1日の軽種馬の品種の改訂でサラブレッド、アラブ、アングロアラブ、サラブレッド系種、アラブ系種の5種となり、それまでの準サラという品種はなくなった。