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競馬太郎
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" 日本における近代競馬は、1861年に横浜の相生町で居留外人を中心として始められた。 1905年には、馬券黙許の措置が講ぜられたが、これに伴い競馬熱は異常に高まり、競馬会が乱立するにつれ、いろいろな弊害も目立ってきた。こうした情勢の中で、1908年10月1日に新刑法が施行され、馬券発売はこれに違反するとの議論がなされるにいたり、同年10月6日、政府は馬券の発売を禁止した。 その後、馬券発売禁止の下で、政府の補助金等により競馬はかろうじて存続したが、大戦後の赤字財政下、軍馬を中心とする馬匹改良の必要に迫られ、1923年にいたり競馬法(いわゆる旧競馬法)が施行され、馬券発売が復活した。しかしながら、クラブ(許可を受けた社団法人)による競馬の施行には種種の問題がつきまとい、全国的規模の競馬団体を創設し、ひとつの有機体として競馬の運営がなされることが強く望まれ、馬政調査会の答申を受け、1936年9月20日競馬法の一部を改正する法律が施行され、日本競馬会が設立されることとなった。
 終戦後の競馬の施行方針に関するGHQの意向は、民間への完全開放もしくは国または地方公共団体による施行ということであり、この意向にそって、日本競馬会、馬匹組合連合会及び中央馬事会は解散をせざるを得なくなった。こうして1948年7月19日に地方競馬をもあわせて規定した新競馬法が施行され、国営競馬時代が始まった。日本競馬会が行なっていた競馬は国に引き継がれたのである。 しかしながら、国営競馬については一種の道義的問題、国が施行する競馬を同じ国が監督する不自然さ、さらには国家予算に拘束されるため運営の弾力性をかくこと等から民営移管論議が高まりを見せ、その当時検討されていた大規模な行政整理の動きと相まって、1954年9月16日、日本中央競馬会法の施行により、競馬法は改正され、日本中央競馬会が設立され、国営競馬を引き継ぐこととなった。
 日本中央競馬会の初代理事長には安田伊佐衛門が就任した。
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